《走馬灯のように》
死に際に見るという、自らの人生の様々な情景が脳裏に次々と現れては過ぎ去っていくさまを、「走馬灯のように」と形容する。※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用
このような体験を実際に味わった人はどれだけいるだろうか?
意外と沢山の人々が体験しているかも知れない。
自分もその中の一人。加えて切なくて嬉しい不思議な体験も味わってしまった。
しかし、怖い話を怪談と言うのであれば、今回のお話を怪談と呼べるものかどうか?我ながら疑問です。
そんなお話をひとつ。
23歳の時。俺はいつもと違う、自分の体の不調に気づいた。
朝起きると、頭がフラフラし熱っぽい。かといって喉が痛いわけでもなく、咳や鼻水も出ていない。
風邪の症状とはちょっと違うような気がしたが、その時はそれほど深刻な状況でもなく、一人暮らしの
アパートを出て仕事に向かっった。
しかし、仕事の最中に病状は悪化して行った。小さな寒気が、次第に悪寒に変わった。
季節は初夏だというのに身体がガタガタと震えだした。周りの同僚や上司も心配し出した。
とりあえず、会社の救急箱の体温計で熱を測ると38℃を少し超えている。
上司からすぐに病院に行くようにと言われた。俺は内心かなり動揺していたが、ワザと元気そうに振舞い、
大したことないんだけどなぁ、などと強がって見せ、病院に向かった。
病院での受診の結果、レントゲンでは異常なし。血液の検査は血液の採取を行い、検査結果が出るまで様子を
見ようという事になった。
取り合えず点滴を受けた。その後熱が若干下がったので、解熱剤やうがい薬なとを処方され、アパートに帰った。
帰ったが何もする気が起こらず、そのままベッドで寝てしまった。
ふと目を覚ますと、部屋は夕闇に包まれており、時計は夜の8時を回っていた。
体調はと言えば、熱はまた高くなっており39℃。顔面が熱さで痛かった。熱で顔が痛くなった事など経験した
事がない。
直ぐに解熱剤を使い、自分でタオルを冷やし、頭は勿論、熱さで痛む顔にも掛けた。解熱剤を使っても
その時だけ熱が下がるのだが、また直ぐに高熱に。結局この繰り返しを朝まで行っていた。眠る暇がない。
翌朝になっても熱は下がらず、会社に連絡を入れて欠勤。とりあえずタクシーで病院へ直行した。
正直いって、入院させて欲しいくらいの体のダルさや高熱だったが、医者の判断は???原因は分からない。
血液検査の結果がまだ出ていないなど、埒があかない。
またまた座薬の解熱剤と抗生剤を出されて家にかえることに。
食欲は全く無く、何も喉を通らない。「2日経っても治らなかったら、大きな病院へ行こう。」そう考えていた。
しかし、3日目には自力で立つことが出来なくなっていた。掛けているタオルケットが重いと感じるほど、体力が
落ちている事に気が付いた。4日を経過しても、熱は下がらず、食欲も全く無い。自分でも急激に体力が落ちている
ことを認識できた。※かろうじて水分だけは摂っていた。
汚い話だが、便が自然に出ており、パジャマの中に排出されていた。その事にも気づいていないほど、意識が
薄れていたのだと思う。
-もうダメかもしれない。誰にも気づかずこのまま死ぬのかも知れない。本当にそう思った。
その時、朦朧とする意識の中で、自身の半生がまるでその場にるように映し出され、頭の中を駆け巡った。
幼い頃、友達と近くの栗の木の下で栗を拾い、足でイガを剥いて栗をとったこと。その時の秋の匂いや栗の皮の棘を
指に刺した痛さ。啜った鼻水の味。横で笑っている友達の笑い声。高校生の時、受験勉強と称して皆で集まって麻雀
を楽しんだ事、タバコの煙で濛々としている部屋の風景と匂い。大学生の時、彼女に振られて途方にくれる自分。
時間にしてどれくらいだろう?3秒もないだろうと思う。※自分の感覚的な想像だが。
- これが走馬灯のように人生が駆け巡るというやつか。死に際に見るというものだな。本当にあるんだ。やっぱ死ぬんだ。-
そう思った。でも不思議と恐怖はなかった。それよりもその流れる記憶の量と、鮮やかなリアル感に感激していた。
そして、何故か死ぬことは始まりなのかも知れないなどと思い、全てをあっさりとあきらめられた。
それから夢を見た。
俺が寝ているベッドの周りを黒いカラス?のような漆黒の鳥が3羽、部屋の中を飛び回っている。
そして、それを長い棒のようなもので必死に追い出そうとしている人影。男性だと判別できた。
その男性は、白いTシャツを着ており、作業ズボンのようなものを履いていた。顔を見ようとしたが、顔の辺りは
逆光のように光に包まれており、眩しく光が放たれていて、まるで見えない。
どんなに頑張っても眩しくて顔だけ見られないのだ。でも、とても自分と関係の強い人だと直感的に思った。
その男が言う。「ごめんな〇〇。1羽だけ取り逃がした。でも大丈夫だから。」※〇〇は俺の名
俺は一瞬にして悟った。男は俺が3歳の時に事故で無くなった父だと。
何故か分かったんだ。
声なんて覚えてないし、父親の残存している写真は1枚しか存在しておらず、それも、葬儀用に極めて小さな
残影を引き延ばし、ペンで専門家が修正したものであった。
でも父であることが分かったんだ。
俺はお礼を言った。「父さん、ありがとう。助けてくれたんだね。」と。
父は頷いて、「もう、行くから。」と答えた。
「分かった。気を付けて帰って。」父は俺の言葉に微笑んでいたように感じた。
俺は父から守られた嬉しさで泣いていた。涙が次から次へと溢れ出ていた。
瞬間、俺は目が覚めた。病院のベッドの中だった。
枕元に祖母がいた。どうしてここに居るのか?
祖母によると、父が病気で寝ている夢を見たとの事。何故か言いようのない不安にかられ、※当時携帯電などは普及していない時代。
父は亡くなっていることから、父の分身である俺へと想像が変化し、俺の身に何か起こっているかもしれないと思
ったらしい。そう思うと居ても立っても居られず、老体の身でありながら、長距離を移動して俺のアパートまできて
くれたとのこと。
大家に頼んで鍵を開けてもらい、俺の状況を見て救急車を呼んだとの事だった。
大きな都市まで運ばれて診断された結果は「麻疹」だった。成人の麻疹は命の危険があるということだった。
今でも思う。父が現れなければ、祖母がこなければ、俺は今生きていないと。
だが、お陰様で、俺は今も元気に生きている。祖母、それと父のお陰で。
因みに祖母は、10数年前に齢98歳の大往生を遂げ、父のもとに帰した。
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